行雲流水の如く

 梶浦直樹の日々雑感

除夜の鐘が消えてゆく。

十二月二十九日

八時に起床。朝食は昨夜の釣り時に食べようと思って買ったセブンイレブンのメロンパンメープルを食べる。これが美味かった。顔を洗い、録画しておいたバルセロナアラベス戦、レアル・マドリードアスレティック・ビルバオ戦、映画「レクイエム(2009)」、「バグダッド・スキャンダル」、「スノー・ロワイヤル」を一気に見る。 先日目を疑ったニュースだが、札幌市内のお寺に、除夜の鐘が煩いと苦情が出て、鐘を鳴らすのを中止にしたと言う。呆れてしまった。一体、どれだけの住民がそこで暮らしていてどれだけの苦情が来たのか聞いてみたいものだ。恐らく苦情を入れるのは新しい住民である。その後にお寺が建ったということはあり得ない。運動会、盆踊り、ラジオ体操まで今では苦情の対象だ。果たして言ったもの勝ちの世の中になって良いものなのか。 例えばの話、電車の音が煩ければ電車が通らなくなるのか。虫や鳥の声が煩ければ駆除するのか。この国には風情というものがある。虫の鳴き声や、鳥の鳴き声で季節を感じたり風情を感じる。除夜の鐘鐘だってそうだ。この鐘の音を聞いて年越しを日本人は感じてきた。時間を変更して鳴らす除夜の鐘に意味などない。何も毎日百八の鐘を鳴らしているのではない。一年の締めくくりなのだ。まったくつまらない人間が増え、つまらない国になったものだ。