行雲流水の如く

 梶浦直樹の日々雑感

少しずつ、少しずつ。

一月八日(雪)

 

今日は、朝から冷えた一日だった。事務所にいても寒くて仕方なかった。まあ一月で暖かいというのもどうかと思うが、とにかく雪が少なくて暮らしやすい。予報では例年より少なくなる可能性があるというが、その可能性に期待したい。午後から、年末からの不備の処理を再開した。どうしてよいものかわからずに放っておいたら取引先の担当から連絡が来て、お互いパソコンを見ながら指示を受けて進めていくとあれよあれよと進んでいく。これなら初めからこうすれば良かった。あと少しで処理は終えそうだ。あとは取引先からの書類を待ち、契約者の印鑑を貰って終了となる。こんなことで今日の仕事は終わった。分からないものをやり続けるのは疲れるものだ。四時半に事務所を閉めて帰宅。日課の散歩を済ませ、夕食。録画しているものをすべて見てしまい夜は暇だった。ゴーンの会見を少し見たがどうしたの?という感じ。米対イランは勝手に始め勝手に終結

 

IR汚職問題で自民党北海道の船橋利実衆議院議員の名前があがり、舟橋大先生はだんまりを決め込み、知らぬ存ぜぬを通してる。『観光会社幹部と、札幌市内の飲食店で面会した際にこの幹部から総選挙を控えた時期の寄付として現金100万円』『収支報告書に寄付として記載せず、船橋氏本人から支部への貸付金と記入』『事務所担当者が誤解した』 とし、中国企業の人間とは直接会ってはいないと話している。挙句は体調不良という仮病を使って逃げていた。頑張れ船橋利実先生、仮病に負けるなよ。貴方は人の顔を覚えないのだから会っていてもわからないんだよな。私はあなたのシラを切る姿に感動してるんだよ。

 

数年前、我々が主催する講演会に招き、挨拶をさせたことがある。私も主催者の一人として名刺を交換した。それから数年後、人を介して事務所に伺い、袴田巌さんの署名をお願いした。話はついているのですぐ署名はもらえますということだったが、本人は留守で秘書が対応に当たった。名刺を渡し、事情を説明するが、誰だお前は?何しに来たという態度だった。署名は拒否され仕方なく帰った。後日、私の耳に入ったのはどこの馬の骨か分からない奴を事務所に寄越すなと間に入った人物に言っていたそうだ。講演会の時にはまだバッジを付けていなかったが事務所に伺ったときには横路孝弘をやぶって当選していた。そうかバッジを付けていないときには覚えていてもバッジを付けたら忘れるんだね。なるほど。まあこういう人物ですよ舟橋利実先生は。