行雲流水の如く

 梶浦直樹の日々雑感

親戚の叔父のような感覚。

八月二十七日(曇)湿度高し

午後に幼馴染の娘が子供を連れて事務所に顔を見せにきた。娘と言っても歳を聞くともう三十二だというのだから驚いた。事務所に来たのは彼女がまだ小学生の頃。母親に連れられてカウンターからまだ顔を見れないくらい小さかった。あれからもう何年になるのだろうか。最後に会ったのは幼馴染の父親の葬儀だった。もう十七年経つという。その時も挨拶をされたが顔がすっかり大人になっていてわからなかった。事務所に顔を見せに来て子供ですと言われ、何か親戚の叔父のような錯覚になった。

何しろ生まれた時から見てきた。今は釧路で暮らしていると言う。たまに実家には帰ってきているようだ。私の顔を見て元気そうで安心しましたと言っていた。嬉しいこと言うねえ。札幌に来た時は顔を出せよと言っておいた。可愛い子供は昨年産まれたらしい。こういった些細な事でも何か良い一日のように思う。

幼馴染の女が帰り、ちょろっと仕事をして四時過ぎに帰宅。仕事が休みの姪っ子は二回目のワクチン接種だったので今日も一人ダッフィーの散歩。夜はデンゼル・ワシントン主演「悪魔を憐れむ歌」、高倉健主演「日本侠客伝 血斗神田祭り」、武田鉄矢昭和は輝いていた「作曲家・浜圭介 歌に情熱を捧げた55年」を見る。いやー、昭和歌謡はいいなあ。浜圭介先生の曲も素晴らしいが、阿久悠なかにし礼荒木とよひささんなどの詞がまた素晴らしい。詩だけを読むと文学だ。哀愁のあるメロディに文学を思わせる詞。特に石狩挽歌を聴くと、小樽、張碓、オタモイ、朝里、祝津の景色が浮かんでくる。これは平成や令和では出せない味である。

よく若者が胸キュンとか言うが、昭和歌謡を聞くとおっさんの私も胸がキュンとなる。